2012年5月10日木曜日

Yellowstone


Yellowstone

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 アメリカの国立公園指定第一番目、それは、Yellowstone。ここは、Wyoming の北西端にあり、ネブラスカの南東のはずれに位置するリンカーンからは、ほぼ、二つの州を斜めに横切るという、これまた、胸のすくようなドライブである。

 大学時代の友人、森谷君、彼は、60歳を越えて再婚したというロマンスの主人公でありながら、重合化学のオーソリティであり、しかも、山男の心意気をもった紳士でもあるが、その彼、現在ニューヨークに在住であるが、是非、一緒にアメリカをドライブして見たいということで、今回、2人旅のイエローストーンめぐりとなった。

 もちろん、アメリカの大自然を楽しむということが第一目標であるが、森谷君は、ラップトップのコンピューターを持参し、これを利用して、今回の旅のために開いたホームページを旅先から更新するという離れ業に挑戦した。 

 コースの中には、グランドテトン、イエローストーン、そして、デビルズタワー、バッドランドといった国立公園が入っており、これもまた、見所たっぷり、変化に富んだ、アメリカならではのドライブとなった。

 走ったコースは次の通りであるが、果たして、そのドライブのなかみはというと・・・。さあ、時間の許す限り、ユックリと楽しんでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日目 チムニーロックからララミー砦

 アメリカ大陸の地図を開くと、ネブラスカはその真ん中に位置している。つまり、何処の海岸からも一番遠いところにあるということで、このことは軍事的には非常に重要な意味を成している。敵国から進入されたとしても、また、大陸弾道弾が飛んできたところてしても、アメリカ大陸のなかで最も安全なところという認識があるらしい。そんなことから、ここには、非常時の地下司令室があるとうわさされているが真偽の程は分からない。

こうした地理的なこととともに、さらに重要なことが、歴史的な意味である。ご存知のようにアメリカの発展の歴史は、1776年の独立以来、まだ250年足らずで、そんなに日が経っていない。非常に若い国である。そのアメリカが1803年にルイジアナ買収( 現在のミシシッピー川以西を当時は、ルイジアナと呼んでいた。)し、ジェファーソン大統領はこの地の統治を確立するために「ルイスとクラークの探検隊」を派遣し、西洋人の入植の足がかりを築いた。そして、5世代かかるといわれた西洋人の入植は、この肥沃な大地と、西部での金の発見により、わずか1世代でこの西部を覆ってしまうほどであった。その、西部入植と、ゴールドラッシュの旅は、St. Louisからミズーリ川を溯り、カンザス・シティーまで西に進む。ここで、ミズーリ川は大きく湾曲し、北に向かっていくので、西部を目指す人たちは、この辺りで川から陸路をとるのである。幌馬車隊を組み、先住民であるインディアンたちと睨み合いをしながら、西へ西へと進む。こうして、いわゆる、オレゴントレイル、カリフォルニアトレイル、サンタフェトレイル、さらには、モルモントレイルなどという、西部への街道が形成されていった。その拠点となるのが、Kansas, Atchison,St. JosepNebraska City, Plattsmouth,Omahaと言った、カンザス州からネブラスカ州にかけてのミズーリ川の河畔の町なのである。こうした町は、とにかく西部への出発点ということで、沢山の人か、全ての有り金をはたいて物資を購入したものだから、当時はたいへんな繁栄を極めたのである。そうした名残が、町のあちこちにフランス風の豪邸館として残っている。これらのトレイルが共通して通過したのが、ネブラスカ州を横切っているプラッテ川に沿った街道なのである。そして、なんの変哲もない平原の道から、いよいよロッキーの山を迂回する険しい山麓地帯に入ると、そこに、この人たちのトレイルの目安としていた独特の岩山が姿を見せる。これが、有名なチムニーロックである。その異様な姿はなかなか言葉では説明しがたいが、とにかく、� ��の名のとおり、空に突き出た煙突のような岩で、この岩こそが、まだ、コンパスなどというものが非常な貴重品で誰でもが使えるような時代ではなく、もっぱら、前にとおった幌馬車の轍の後だけを頼りに旅を続けていた人々に、大きな安堵と、勇気を与えてくれたのであろう。

 こうして、フロンティアの旅は続くが、その後になって出てくるのがスコッツブラフの崖である。そして、ここを過ぎるといよいよトレイルはワイオミングに入る。このあたり、かっては、Sioux族、シャイアン族といった強力が部族が支配していた領域で、ここを西部の開拓者たちは命をかけて通り過ぎていったのである。当初、インディアンは、おおくの物資をもたらしてくれるこうした西部への入植者達といざこざを起こすことはあまりなかったが、やがて、その数が余りにも多く、自分たちの生活の基盤が脅かされてくることに気がついたインディアン達の間に自分達の権利を主張する部族があらわれ、少しずつ険悪な状態になっていった。そんななかで、幌馬車で旅をする人たちを守ったのがいうまでもなく騎兵隊である。その騎兵隊の拠点となった有名なララミー砦というのが、ここにある。もともとはララミーの河畔に毛皮の取引所として発展したところで、ここに、騎兵隊が� ��宿したのである。軍の指令部の建物、兵の寄宿舎、訓練所、厩舎などが広々とした敷地に点々と広がっていた。カンザスのドッヂシティで見た砦では、すでにインディアンとの和睦が確立していたのであろう、兵の家族も砦で一緒に生活していたあとが伺えたが、ここは、軍隊の訓練広場まで用意されているという、まさに前線基地という感の砦であった。

 このララミー砦は、実はララミー市にあるのではなく、この日の宿泊予定をしていたララミーには、まだ、100マイルほど走らなくてはならない。おとなしく、ハイウェイに戻り走れば何のことはないが、地図にも道路がしっかり書いてあるということで近道を取る。しかし、少し走るとこれが、がたがたの田舎道。以前にも経験したことがあるが、こうした道は案内板がなく、地元の人たちがたまに通る程度の、全くの生活道路なのである。ここによそ者が入ると、何回がカーブをしているうちに自分がどちらに向いているか分からなくなる。そんな経験をカナダの帰りにしたことがあるので、慎重に方角を確認しながら、土ぼこり をたて田舎道をつき進む。そうこうしているうちに遠く高い煙突を見つけた。おそらく発電所のものであろう。そこまで行けば、道路は整備されているし、何とかいけそうだと気を強くしたが、これが、また遠い。いけどもいけどもその煙突が近づいてこない。20分くらいこんないらいらが続いて、やっとの思いで ハイウェイにでる。やはりよそ者は田舎道を通らないようにするのが、アメリカドライブの鉄則である。ララミー砦を見ているときにパラツイテいた雨も上がり、東の空には虹が見えている。それも、珍しい二重の虹だ。アメリカでは、虹が地平線まで延びているので、色合いがとても素晴らしい。こんな素晴らしい虹は、この旅のこれからの天気を占っているようだった。

 

    Lincoln           Kearney           North Plate           Ogallala              Chimney Rock           Scottsbluff     

      Torrington                  Fort Laramie              Wheatland             Laramie

            この日の走行距離は、590マイルでした。               

 

二日目   ワイオミングを西へ西へ、

 ララミーからドリッグスへ

アメリカの地図を眺めていると、まるで定規で便宜的に筋を引いたように州境が決められている。その中でも、まさしく四角に区切られているのが、コロラドとワイオミング。ともにロッキーの山々が大陸の分水嶺として堂々と聳えているが、こうした山の稜線が必ずしも州境になっていないのがいかにもアメリカらしい。逆に、ミシシッピー川やミズーリ川、オハイオ川などが州境を形成していることを考えると、どうも、アメリカでは水系のほうが分水嶺よりも意味があったような気がする。

 そして、このララミーは、目的地のイエローストーンとは、四角形をしたワイオミングの対角線をなしている。だから最も速くイエローストーンに行くには、斜めに走ればよいのであるが、ここは一日余裕をもって、まず真っ直ぐ西に進むことにした。というのも、ここが、アメリカ開拓史の舞台となった最も重要な街道だからである。ここを走るインターステーツ80を旅することは、丁度時間を遡って旅をするようなものだ・・・と解説がある。大平原と盆地に住むインディアン達は、ここを通商の道として使った。そして、そこには、オレゴン、カリフォルニア、そして、ユタに進んだ幌馬車隊の残したわだちがいまだに残っているのである。そして、西部に移住した人たちと、彼らのふるさとに残した家族との間の便りの交換を馬を乗り継いで運んだポニー・エクスプレスの宿場が残っている。このポニー・エクスプレスの運命は、僅か60年で消えるが、その原因となったのが、ここに大陸横断鉄道が開設されたからである。

 われわれがはしったインタースターツ80は、リンカーンハイウェイと呼ばれる。それは、合衆国の数あるインターステーツのなかで、東海岸と西海岸を結んだ最初の高速道路という栄誉に対して付けられた名前だ。インターステーツの走る高原は、実に殺伐としている。どこまでも広がる黄色い草原。水が少なく殆ど緑が消えうせている。そんな中に、突如として町が現れる。こんなところに人が住めるのか思われるようなところに決して近代的とは言えないがかなり大きな街である。Rawlinsというのは、アメリカの中西部ではかなりの石油会社であるSinclairの製油所がある。なるほど、ところどころに例の石油を掘り出しているポンプを目にすることがあった。以前に、同じワイオミングの北の端を旅行したときにも、大きな石油基地の町を見たことがあるが、なにを隠そう、ワイオミングは石油が産出する州なのであった。暫くいくと、草原の中にフレアースタックから火が挙がっている石油基地も見えた。これには、驚き。あまったガスが燃えるほど石油が出るということだ。資料によれば、なんと、ワイオミングはアメリカで生産している石油の46%を占めているとか。このあたりから、WamsutterRock Springsあたりまでは、Sweetwaterという平原が続く。すでに標高は2000メートルである。殆ど川をみることはできないが、ここを流れる水は、すでにコロラド川に注ぎ、やがては太平洋に流れこむ水である。小高い山の頂には、どこにも見られる風車が高原を吹き抜ける風を受けて、ゆったりと回転している。

 石油と共に、ワイオミングの資源は石炭とウラニウムである。露天掘りをされているその石炭を積んだ貨車が百輌近く連なって、西へ東へと運ばれてゆくのである。その量がこれまた驚く。ネブラスカでもよく見たが、何しろ、大陸横断鉄道のうえを、石炭を満載した貨物列車が引っ切り無しに走っているのである。驚くなかれ、その量は、1991年には、194百万トンもの石炭を産出したとのこと。これは、合衆国の石炭生産量の3/4に相当する。ちなみに、このほかの鉱物資源としては、石灰石、御影石、ヒスイなど、そして、ウラニウムの産地でもあるとか。但し、ウラニウムはと投機的な採掘が行われ、今では閉山の憂き目にあっているとのこと。これは、誰をウラムニウム? ところどころにある露天掘りの高山、見るからにボタ山のようにものもみえる。そんな光景を楽しみながら、やがて、遠くに雪を抱いた山々が見え始める。13,745 ftFremont Pk, から、13,192 ftWind River Pk へとつらなるWind River 山脈の山々である。

 ワイオミングを横断するこのインターステーツの旅は、Rock Springsを過ぎ、州の外れ にあるEvanstonと言う町で終わる。この町のビジターセンターに寄ると、そこの管理人がどこから来たのかと聞く。ララミーからだといったら、「それは、よく来た。」と。とにかく、ワイオミングを横断してここまで来てくれたことがとてもうれしかったらしい。このトレイルが歴史的に非常に意味のあることをしきりに強調していた。旅の楽しみは、こうしたビジタ ーセンターで旅行者を歓迎してくれる地元の人と親しく話ができること。ちょっとした町ならどこにもあるが、特に立派なのは、州境に近い町のビジターセンターである。立派なガイドブック、地図、そして、様々な資料がそろっているし、なかには、コーヒーやお菓子のサービスまでしてくれる。こんなときには、思らず、この町に来てよかったと、一ドルの寄付をする。

ここで、ガソリンを補給する。さすがにワイオミングは石油が出る州ということで、ガロン2.66ドル。ネブラスカでは、このところの急騰で3ドル近くしている。信じられない価格だ。思わず、ポリタンに入れてガソリンを買いだめしようかと言いたくなる安さだ。

インターステーツ80を降り、ここから北に向かうとやがて、Utahに入る。といっても殆ど州境を走るようなものだ。そして、やがて、アイダホにはいる。ここには、ベアーレイクという避暑地がある。高速から、州の高速を走るときには、制限速度が65マイルになるので、ついついスピード違反となる。そんなときにパトカーに捕まるのだ。なにしろ、前にも、後にも車はいないし、道路は真っ直ぐ。偶々あるカーブでは、スピードを緩めず体で感ずる遠心力を楽しむ程度にスピードを出す。そんな感じで気持ちよく運転していたら、かなり彼方に黒い車が道端に突っ込んだ形で止まっている。なにか不自然。ひょっとしてパトカーか。ここは用心するに越したことはない。というわけで、スビードダウン。制限速度の5マイルオーバーで走る。近づいてみると、なんと、やっぱりパトカーがスピード違反を取り締まっていたのだ。おー、間一髪。桑原、桑原の一幕でした。
  ベアーレイクは、ユタとアイダホに跨る湖で、幅10`、長さが30キロある。ここの標高は、2000メートル。沢山の人が水上スキー、ボート、つり、中には、水浴びを楽しんでいる人。また、水辺では、ATVと呼ばれるバギー車で爆音を立てているものがいる。ソールトレイクあたりからもここにリゾートに来ているようで、やはり水質の差があるのだろうか。久し振りに湖を見たということで、思わず気が緩む。ここで、運転を交代して暫くして、昼食のために一休み。と、その時ふと、車のキーがないのに気がつく。そう簡単に落とすようなものではないが、車のなかのどこを探しても出てこない。これから先。旅はまだ長い。スペアーキーがないのでは不安で仕方がない。何とかしなくては、と思えば思うほど焦ってくる。もう一度、運転を交代したところからトレースしてみる。森谷君がこのあたりで有名なハンバーガー屋で食事をしている間、また元に戻 り探すことにした。10マイルほど、あれこれ考えながら引き返す。が、元に戻ってもやはり見つからない。これは、もう観念するしかないと、森谷君の待っているところに戻る。彼も、いろいろ探してくれたが、どうしても見つからない。仕方なく、出発しようとしたら、彼が鍵を出してか車を運転しようとする。車には、キーがついているではないか。という ことは。結局、こうして無事、鍵紛失騒動はけりがついた。

ベアーレイクから、北に走り、ワイオミングの入る予定が、何処で道を間違えたのか、アイダホを走っている。地図には強いといっていた森谷君の勘違いで、どうも、北西に走っているようだ。Montpelierから東に向かう予定がすこし狂ったが、北に進んでいるなら問題ないとこのまま進む。地図を見れば、この道、オレゴントレイルとでている。とんだところで、また、歴史の街道を検証することとなる。途中、Soda Springsという町についたが、ここがまた、白い山々に囲まれた町。いたるところに岩塩のような採掘場が見える。近くには、Dry Lakeなどと書かれた場所もあり、おそらく、このあたり、標高は2,000b近くあるが、かっては湖のそこではなかったか。まわりは、ワイオミングの南を走っているときには、枯れ草の丘を走っているようであったが、このあたりになるとハイウェイは白樺の林に囲まれて、車の窓を開ければ緑のにおいがするすがすがしい空気を吸うことができる。こうして、ワイオミングとアイダホの州境を走りながら、分水嶺をこえ、Shoshone川の水系に入る。このShoshone川は、Snake川とも呼ばれている川で、太平洋に注ぐコロンビア川の支流である。非常に長い水系を持っていて、その水源は、ジャクソンレイクである。極僅かしか離れていないが、こことイエローストーンレイクとの間に大分水嶺があり、イエローストーンレイクの水は、ミズーリ川に注ぐイ エローストーン川に流れ込んでいる。この日は、Jacksonに宿がとれず、Driggsという、アイダホの田舎町に泊まる。ところが、このDriggs で次の日の朝、たいへん貴重なものを見ることができた。

 この日の行程

 


ナイアガラの滝の平方マイル

 Laramie          Rock Springs          Evanston           Bear Lake       Montpelier          Soda Springs     

     Alpine          Victor        Driggs

                   走行距離  575マイルでした。

 

  

    三日目   おお、なんと素晴らしい、Grand Teton 

 Driggsから、Grand Teton

いよいよ、今日から本格的な山岳ドライブ。といっても、こちらは、2000メートル程度の平原が何処までも続き、日本の平野という感じ。これくらいの高地で平気で生活しているのだから、日本の某マラソン選手が高地トレーニングと称して、コロラドの2000mくらいの高地で練習しているというが、こんなのは、まさに普通の人の生活なのである。どうせならもっと高いところで訓練したほうがよさそうなものなのに、というのは素人の考えなのだろうか。しかし、練習と生活を海外で過ごし、試合の時だけ日本人顔をするのはどうしたものか。日本で生活し、日本の気候風土のなかで訓練し、日本の食生活のなかで頑張るほうが、本来の日本代表かと思うのだが、これは私の独りよがりか。

 

  なんと、なんと、目の前でバルーンが宙に浮く。

  いよいよ、今日から、ナショナルパークめぐりということで、快適な朝の寝覚め。荷物を車に積もうとモーテルのドアを開けてびっくり。朝、まだ7時というのに、駐車場のまえの広場に沢山の人だかり。というより、沢山の熱気球がいままさに地上を離れようとしているではないか。ガスバーナーが猛烈な音をたてて熱気をバルーンに送り込んでいる。見る見るうちに気球が膨らんで、もっこり、もっこり中に浮いてくる。派手なパフォーマンスを描いた色とりどりの気球が空にまいはじめる。手を伸ばせば届くようなところで、気球に乗った人が手を振っている。この日は、どうも熱気球のお祭りであったようだ。Driggs は、西にTeton山脈、東にCaribou山脈が聳えており、その間に挟まれて流れるスネーク川によって作られた盆地になっている。そんなことからここは、気流が非常に安定した場所であり、また、Tetonの山々を望める風光明媚なところとして、気球レジャーが盛んなのではと想像する。朝から、こんな興奮状態でTetonの峠、ここは標高8400フィート2,500メートルあるが、周りには森林が茂り、さわやかな空気は、そんな高さを感じさせない。こうして、再びワイオミングに入り、Jacksonに向かう。グランド・Tetonばかりでなく、YellowstoneへのアクセスともなっているJacksonの町はさすがに綺麗な町で、町には樹木が沢山植わっており、いかにも、高原の観光基地の雰囲気が漂っている。ここで、われわれの走ってきた22号線は、26号、89号、191号線に合流する。途端に車の量が増えるが、これも、わずか1マイル程度の街中を過ぎれば、こんどは、制限速度が65マイルの快適なハイウェイとなる。

 

この景色、みんな自分のものです。

と、突然、前方にGrand Tetonの山並みが、まるで、それまでもやもやを一度に吹き飛ばすかのごとく、姿をあらわす。その姿は、山の麓から、氷河を抱く4000メートル級の山頂まで、一気にそそり立っているから、度肝をぬかれる。最も高いGrand Tetonは、13,770 ft, 中央に構えるGrand Tetonの頂は、その周りに鋸の歯のような幾つもの尖った山頂を従えている、まさに王者の風格の山である。氷河を鋏んで、そのすぐ南にあるのが Middle Teton 12.800 ft,この山は、まさしく、このGrand Tetonの山脈の中央に位置しているので、その名がつけられたとのこと。そして、さらに南に下がると、 South Teton 12,510 ft,がある。南に向かって、Static Peak ,Buck Mountain Veiled Peakなど、まだまだ、異様な形の岩山が続いている。Grand Tetonから北に上がると、第一の子分格の Mount Owen  12,930 ft, が、すぐに従えている。Teewinot Mountain 12,320 ft,は、Shoshoneの言葉 " Tee-Wee-At( 尖った山 )"から来ている。ここも、まるで鋸の歯のような形をした山である。  Mount Moran  12,600 ft は、麓のJackson Lake から一気に反りあがっている山で、夕陽を浴びて湖に移したその姿は、まさしく、ここでなければ見られない見事な光景である。また、Nez Perce 11,900 ft,は、LewisClarkの探検に出てくるインディアン、Nez Perce族にちなんで付けられた山で、かれらがこのあたりで狩を盛んにしていたことから付けられた名前のようである。 白い岩肌に生える緑の木々の山麓から、残雪を残す山陰、そして、氷河の白い帯は、そこが人々を寄せ付けない神々の座であるかのごとく荘厳な印象を与えるこうした山々が惜しむことなくその全容を見せてくれるのである。

 この景色がみんな自分のものなのです。これほど、晴れ晴れとした気持ちはなかなか味わえないのではと思う。これらの山並みを見ながら、ハイウェイを一度北に走り、そして、もう一度、山のすぐ麓を走るドライブウェイを南に下がる。存分にその姿を味わおうというわけである。この山々の麓はJackson Holeと呼ばれる大平原で、その中間をスネーク川が南にと流れている。このスネーク川、丁度Teton山脈の南の端で、今度は西に流れを変えて、やがて、再び、北に向きを変え、とうとうと流れたあと、コロンビア川に合流し、太平洋に注いでいるのである。もともとは、例のLewisClarkと共に探検をしたSacagaweaの部族のShoshone族にちなんでつけられたShoshone川であるが、この曲がり曲がった流が、この川がスネーク川と呼ばれるようになった所以である。

 このスネーク側沿いにはしっている高速道路が191号線。ジャクソンホールを見下ろしながら、その向こうにGrand Tetonの山々を一望しながらドライブできる道で、これほど、景色の素晴らしいドライブウェイは、アメリカの中でも珍しいのではないか。Cunningham Cabin Historic Siteというのがある。広々と開けた草原の盆地の中に一軒の丸太小屋がある。その昔、毛皮を取る狩猟の目的でこの地に住み着いた人のいえであろう。崇高な山々を一望しながらの生活は、都会人にとっては、これほど魅力はないのであろう。森谷君が、これこそわが理想とする自然の家のモデルといっていた。確かに、今では、インターネットがどこにしても使えるし、ここで、現代の文化を携えて1人でくらしていても孤独を感ずることはないであろう。しかし、自然はそんなに生易しいものではないはずだ。このあたり、冬になれば、マイナス30度、40度の世界である。全く、文明の社会と隔離されて現代人がどれだれ力強く生きて行けるか、それは、あまりにも便利になりすぎた生活に慣れたものにとってはいささか疑問である。しかし、それにしても、その大自然の中で、 山とせせらぎと、動物と戯れての生活は彼でなくとも、誰もが夢を見る生き方のような気がする。

 いかにも、ここで厳しい自然と闘い、力強く生きてきた先人の面影を偲びながら、さらに北に進むと、やがて、Jackson Lake Junction に出る。その直前に、Grand Tetonを写真に撮るにはもってこいのビューポイントがある。Oxbow Bend Turnoutというところだ。ここに、沢山の車が止まって、みんながカメラを構えている。Jackson Lakeから流れ出た 流が大きく湾曲するところで、水は豊富であるが、ダムのしたにあるところから、水面がまるで鏡のように静かなのである。そのため、ここに移るGrand Tetonの姿は、緑の木々の中にとても映えているのである。その姿をバックに写真を撮るというのがここの定番。それに加えて、運がよければ、ここで、様々な野生の動物にご対面できるのである。エルクや、キツネ、そして、川面には、水鳥も羽を休めている。そんなときに、森谷君が、双眼鏡をのぞいていて、近くにした子供に、冗談で熊が居るよと言った。すると、これが、たいへんな問題になった。この子供、これは、一大事とばかり、特にになって、自分の両親の所に飛んでいって報告したから、今度は、大人が本気になって、みんなで、どこに居る?、熊はどこだ?、グリズビーか?、とやって来た。これには、いささか、森谷君といえども、びっくり。冗談では済まされなくなった。仕方なく、その時、丁度、かなり遠くの守景に鹿らしきものが見えたので、「あそこに、鹿に居るよ」と、言って、必死に興味をそらす。どうやら、大人たちが、これは冗談だと言うことに気がつき、こんどは、ワシがいるといって、双眼鏡であたりを探し始めた。まあ、英語での会話で、なかなか冗談が通じなかったようであるが、それにしても、子供相手には、もう少し注意が必要であったかも知れない。本人も反省をしていたようだ。とんだ、お粗末な一件であったが、ここから直ぐ2道は二手に分かれ、真っ直ぐ北に進めば、イエローストーンに行く。われわれは、Jackson Lake に沿い、もう一度南下し、今度は、Grand Tetonのすぐ麓を通るドライブウェイに入る。そして、Signal Mountainというビューポイントに向かう。ここは、Jackson Lake を一望し、それを鋏んで、Grand Tetonが来たから、南まで楽しめるという名所。標高は、2310メートルとなっていたが、その頂上近くには、高山植物のお花畑があり、ここに、沢山の蝶が舞っていた。日本にいる友人が、アメリカには、数世代をかけて、メキシコから、コロラドを通り、ワイオミングあたりから、カナダまで北上し、そのあと、カナダの東部に行き、そして、フロリダを通って、また、メキシコのユカタン半島まで、渡り歩く蝶がいると紹介してくれた。アメリカの国の蝶でもあり、切手にもなっているオオカギマダラという黒い縁をし、赤い斑点のある蝶だ。何世代もかけて、こうして渡り歩く鳥や蝶は、きっと自分の生態の中に、その羅針盤を持っているに違いない。ただ、現在の地軸からすると、その渡り歩く、周回の中心は必ずしもそれと一致しているわけではないが、ひょ っとすると、こうした蝶には、ずっと昔、まだ、地軸がいまの地軸とは随分ずれていたときに、同じ緯度を回る癖があり、それが子孫に受け連れているなら、こうしたこともできるかも知れないなどと仮説をたてて、自分なりに納得。確かに、その蝶と思われる何匹かが、高原の暖かい日差しの中で、蜜を吸い、風に乗って、まるで、乱舞という言葉がぴったりのような蝶の舞いを見せてくれていた。砂漠ばかりのアメリカで、蝶が長旅のできるコースは、こうした高原のお花畑を伝わり、飛んでいく以外にないと思う。そんな意味では、ここの自然の豊かさをつくづくと感じた。

 麓を通るドライブウェイは、確かに山が近く、迫力はあるが、贅沢を言うならば、山が近すぎたようだ。Grand Tetonには、独立峰が多いので、これらの山の間を歩くトレイルが沢山ある。中でも、Grand Tetonを横断するMount St. JohnTeewnot Mountainの間のCascade Creekはとても人気のあるコースのようである。ここには、Jenny Lakeをシャトル船で渡ることができる。その発着するところにビジターセンターがある。ここで、森谷君が、執念でバイソンの穴場を聞いてきた。高速道路を挟んで、反対側になるが、ちょっとした小高い丘を越えたところで、バイソンが沢山見られるという。これを聞いて、じっとしては居られないと、わき道に入り、草原の中を突き進む。

そして、居ました。いました。最初は、草原の草の陰に寝そべっていたので分からなかったが、そのうち、遠くの草原を何等かが群れをなしているのを発見。これには、興奮。しかし、距離が遠すぎる。この距離では、あまり迫力のある写真はとれないと、なんとか、近くまでゆこうと、車一台がやっとの道に入る。何とか、ここならいい写真が取れそうというところまできて、三脚を用意し、仕切りに構図を決めていたら、驚き。すぐそこに、なんと、体重が1t以上はあるかと思われるバイソンがじっとこちらを見ているではないか。これには、度肝をぬかれる。興奮でもさせて、こちらに突進してきたら、逃げようがない。ここは、車のなかで暫く様子を見る。どうにか、バイソンも興奮している様子もないので、今度は、遠くのバイソンではなく、この近くに姿を現してくれたバイソンを主人公に写真をとる。遠くにGrand Tetonの山々、そして、真ん中に小高い丘、そして、間近には、今にもカメラをなめそうな距離のバイソン。これは、玄人はだしを自認する森谷くん、ご自慢の構図となりました。そこから、一端は、山道を通り、ハイウェイまでゆくことに挑戦したが、時間的にも、また、中にことが起きた時の非常手段もないので、ここは、おとなしく、一番近い高速に戻ることにする。となんと、その途中にこれは、バイソンの牧場があるではないか。そして、ここでも、バイソンにいろいろと注文しながらの写真を撮る。

 こんな調子で、Grand Tetonの山々と自然とバイソンを心行くまで楽しみ、ワイオミングの自然に万歳と、拍手を送りたいような気分で、さあ、いよいよ、明日は、イエローストーンである。

このGrand Tetonからイエローストーンにかけて、コンチネンタルデバイドが複雑に入り組んでいる。大分水嶺を越えること三度。このあたりの地形の複雑さを思い知らされる。

ちなみに、これだけの素晴らしいGrand Tetonの地形。どのようにできたかと、不思議に思わないのは科学屋らしくない。そこで、資料をめくってみると、どうも、ここには、大断層があるらしい。Teton断層という。6075百万年くらい前は、このあたりは海底に堆積した層が中心となった平野であったらしい。それが、1317百万年まえに、大地震があり、これにより、Teton山脈にそった断層で地殻がずれ、山側が隆起、そして、一方が沈降した。その後、25百万年くらいのあいだ、この隆起と沈降が続き、山は、29000フィートも上昇し、一方、谷の方は、7000フィートも沈んだということである。そして、水や氷河により山は削られ、いまのGrand Tetonの山々の原型ができた。その後、氷河時代には、氷河の厚さが3000フィートにもおよび、その氷河がやがて岩山を削り、いまのGrand Tetonの山々になったとのことである。一方、平野のほうには、山々の水が流れ込み、ジャクソンレイクができ、そこから流れ出るスネーク側が、沈んでいた平野の間を、まるで蛇がくねるように流れていたのである。このスネーク側の流域に沿ってできた盆地を総称して、ジャクソンホールと呼んでいる。

 

                  

 

 

 

 

この日の行程 255マイルでした。

  Driggs          Jackson          Teton Point Turnout           Snake River Overlook      

       Cunningham Cabin Historic Site            Oxbow Bend Turnout         Signal Mountain        Jenny Lake

    

   Moose Junction         Grove Ventre Junction        Kelly             Blacktail Ponds Overlook

         Moran Junction       West Yellowstone

 


 

 


川は人々にどのような影響を与えるか

 

四日目

  イエローストーン ローアー

  ウェストイエローストーンから、

   Yellowstoneの中のロッジは、一年前から予約が一杯ということで、宿を取ったのは、West Yellowstoneという、Yellowstoneの西の入り口となっている町。町を出て5分もしないうちに、Welcome to Yellowstoneの標識が目に入る。但し、ここは、アイダホの町である。昨年の7月に買ったNational Parks Passが今年の7月まで有効ということで、これをフルに利用することができた。これは、今回のナショナルパークめぐりでは大きなプレゼントであった。こちらは、ナショナルパークに入るごとに入場料が必要である。ただ、日本と比べて合理的だと思うのは、車一台につき、20ドルで、車の中に何人人が乗っていようが、関係ないし、このパスは何度でも使える。まさしく、1人で利用するのはもったいないという気持ち。このパスを利用して、気持ちよく、ゲートを通過。標高が高いのと、緑に囲まれた町で朝はひんやりとしている。天気はほぼ快晴。この旅の目的のGrand TetonYellowstoneでこれだけの素晴らしい天気に恵まれたのは、日ごろの行いのよい証拠といい気になる。鼻歌交じりに今日の予定のYellowstoneのローアーに向かう。とにかく、見なければならないところは山ほどある。どこから手をつけてよいか分からない状態で、とにかく出たとこ勝負。

 

Firehole River

 まずは、西の入り口からYellowstoneの中心部に入ったところにあるMadison Junctionの近くにあるFire Canyon Drive を抜ける。ここは、すでにMadison川ではないが、その上流に当るFirehole Riverである。勿論、Madison 川は、LewisClarkが名前をつけた、モンタナの中央にあるThree Forkというところで一度に合流する三つの川の一つである。この川の流れがミズーリ川の水となり、そして、モンタナ、南北のダコタを流れ、ネブラスカとアイオアの州境、カンザスとミズーリの州境をとおり、ミシシッピー川になり、最終的にメキシコ湾に注ぐのである。われわれは、今、まさに、その源流に来ているのだ。この水のたびはどのくらい掛かるのだろうか。一度、木の葉船になってその水とともに旅をしてみたいような、そんな気持ちになる。ここには、Firehole Fallという小さな滝があるが、林のなかに白いしぶきを立てて流れ落ちるその勢いは、これからの旅への意気込みを感じさせる。

 

Fountain Paint Pot

本来なら、ビジターセンターに先に立ち寄って、それぞれの間欠泉の今日の噴出時間を調べておくべきだったが、この余裕がなかった。そんなわけで、少しいらいらもあった。朝の少しぼけと、このいらいらと、そして、浮かれた気持ちが災いしたのではないか。直ぐに、とんでもない事件が待っていた。それは、この日の最初の間欠泉、Fountain Paint Potに着いた時のこと。ここは、とにかく野球場が10くらい入るような平原のいたると ころに、あちこちで、もうもうと白い水蒸気が立ち上っている。これこそ、地球の息吹と感じる。それを巡り歩く遊歩道が整備されている。大きな水蒸気の柱を吹き上げているところでは、絶えず、熱水がぼこぼこやっている。あの、鼻を突く硫黄の異様な臭いはしないし、草花もこの水蒸気の噴出すすぐ近くで力強く育っているから不思議だ。ということは、ここの水蒸気が噴出すのは、よほど地下の深いところから出てくるのではという気がする。あれこれ思いをめぐらし、この地球の不思議を何とか写真に納めようと、欲をかいて、35ミリカメラ、ビデオカメラ、そして、デジカメと装備。さあ、張り切ってと遊歩道を百メートル近くいったところで、そのすぐ沸きにある噴出孔を写真に撮ろうとカメラを右手から左手、左手から右手に移す。その途端、握っていたはずのデジタルカメラをコトンと落としてしまう。「しまった。」と思い、恐る恐る拾い上げてみると、なんと、レンズが曲がってしまっている。なんとか、写真だけでも撮れないかと期待したが、カメラは、結局はこれでお陀仏。というわけで、デジカメの写真はここで中断ということになった。「残念。」 歳をとり注意が散漫になり、一つのことに熱中すると他のことが分からなくなる。そのうえ、旅の午前中は、まだ、ボケもあるので、これはよほど気を引締めないといけないと いう一幕でした。これからの旅は、デジカメ抜きと思うと気が重くなったが、それでも、気を取り直して、何とか楽しい間欠泉めぐりに再び気持ちを切り替える。

 

Firehole Drive あたり

道路を隔てて、今度は、Great Fountain GeyserのあるFirehole Lake Driveに向かう。ここには、道路のすぐ脇にテーブル状になった大きな間欠泉、数メートルの岩の頂上から熱水が噴出す、これも見事な間欠泉、そして、プリズム色をした湖面を称える間欠泉など、見所が一杯のドライブコース。ここで、メインのテーブル間欠泉が、今日の12時半という情報で、ひとまず、先にオールドフェイスフルにいくことにする。ところが、この情報をくれた日本人の観光客の話。日にちが一日ずれていた。あとで、もう一度来たときには、この日の噴出は、朝の8時半で終わったとのこと。日にちが間違っていたのは、次の日の夕方、自分で確かめて初めて分かった。とんだ肩透かしを食ったが、がっかりしていたその時、少しはなれた、あの岩山から白煙を上げていた間欠泉が、勢い良く熱水を吹き上げていた。この間欠泉、時間のインターバルは短いが、その予測が難しいということで、誰も次の噴出時間を知っていなかったが、これは、ラッキーなプレゼントであった。なるほど、これが間欠泉か、と納得の一幕。この写真をデジカメで撮れなかった。「残念。」

ここは、どこもかしこも、Fireholeということであるが、これだけ、白煙を吹き上げる場所が多いということは、かってはここが火山口のあったところからきているのだろうか。

この情報をくれた、日本人観光客。すでにリタイアした三組の夫婦、6人連れ。20をかけて、この一体をドライブ旅行しているとのこと。Grand TetonYellowstone、そして、デビルズタワー、バッドランド、さらには、ララミーを回っていく予定といっていた。どんな方たちかは、分からないが、アメリカをレンタカーで20日間も旅をするというのは、よほど、アメリカになれ、旅行になれている人たちなのであろう。全く、人生にゆとりをもった、悠々自適という感じの人たち。亭主族は運転、奥様方が主導での観光。一年前から、インターネットでYellowstoneの中にあるロッジに予約をしようと挑戦したらしい。この歳でインターネットを使いこなす人たちだから、只者ではないのはわかる。それでも、宿を取れないのが、ここの人気が一筋縄ではないということか。この人気のあるYellowstoneに来て気づいたのは、日本人の観光客がまるでチラホラなのに対して、中国人の観光客の多いこと。カリフォルニア、オレゴン、ワシントン(西海岸のワシントン州)あたりのナンバープレートをつけ、数人の家族連れで来ている。どこの観光スポットにいっても、あの大きな声の元気のいい中国語が耳にはいってくる。とにかく、元気があり、おおはしゃぎでバケーションを楽しんでいる。これだけ、アメリカに中国人が多いということが。それとも、中国人は、すっかりアメリカナイズされて、バケーションを楽しむことが上手になっているのか。とにかく、かれらが、世界中のどこにいっても自分達の生活の基盤をその地に根付かせていることには間違いない。日本人の観光客があまりにも少ないので、驚いた次第。

もう一度、ここに来るということで、次の間欠泉の名所、Biscuit Basinを訪れる。ここは、ドライブウェイと川ひとつ隔てたところに、もうもうと水蒸気を噴き上げながら、熱水が絶えず湧き出ているところ。至るところに噴出孔からでた水が川に流れ込む水路ができている。この熱水が流れ込み、川の水はたちまちにして、お湯になっているのであろう。

 

Old Faithful

 ロアーの間欠泉めぐりの圧巻はなんと言ってもOld Faithfulであろう。ここは、90120分くらい置きに熱水を吹き上げ、しかも、その間欠泉の間隔が比較的正確に予測できる、つまり、頼りになる予測ができるということで、「Faithful(信用できる、正確な )」という名がついたとのことである。ここには、素晴らしいロッジがあり、とにかく、世界中の観光客に人気のあるところだ。なにしろ、ロッジのロビーのすぐ目の前、数十メートルのところに、大噴水口が鎮座しており、これを、食事をしながら、あるいは、椅子にくつろぎながら眺められるというもの。こんなところに何日もとまり、何回も、何回も、熱水の噴出すのをながめることができるのは、まさしく、贅沢以外のなにもの出もない。われわれも、ここで、暫く、次の噴出を待つことにいた。その間、ロビーで、やや遅めの朝食。こちらの観光地のこうした売店の食事は、決して、町のお店の値段と少しも変わらないのがいい。日本のように、へんに観光地値段のついたものもなく、安心して手ごろな値段で食事をす� �ことができる。コーヒーとビスケットを食べ、暫くしていると、噴出口の周りにある見物用のベンチに人が集まってきている。写真にこだわりのある森谷君は、すでに、そのベンチをあちこち見て周り、一等席と思われるところに三脚ででんと構えて、「噴出、いつでもOKの態勢」。噴出孔から50メートルくらいは慣れたところに、延々と二百メートル近くある長いベンチは、家族連れ、夏休みの子供たちの団体、それに、スペイン語やら中国語が飛び交い、世界中から集まった観光客で国際色が豊か。そろそろ噴出予定の時刻だ。誰もが、いまかいまかの思いで、まだ、薄い影の水蒸気が立ち上るのを見ている。

と、その時である。右の山の手のほうから、二匹のバイソンがのっそり、のっそりと噴出口のほうに歩いてくる。誰もが、「あの、バイソンは、いきなり噴出が始まったら、どうするのだろう。」「びっくりして、猛然と走り出すかもしれない。」「自分のほうに走ってきたらどうしよう。」などと、思いをめぐらしている。そのうち、バイソンは、噴出口の僅か10メートルくらいのところで、今度は、二匹でなにやらつぶやいているように角を合わせ始めた。誰もが、「噴出はもうすぐ、もうすぐ。どうするの。バイソンさん。」という思いでいる。と、今度は、二匹で、猛烈に格闘を始めた。土煙を経て、首を低く垂れて押し合いをしている。もう、噴出まで、二三分だ。そんなところで、夢中で格闘していると、いまに熱水が出できて、まともにこれを被ってしまう。みんなは、間欠泉の噴出と、このバイソンの格闘と、どちらも気が気ではない。と、「時間もそろそろ、よろしいようで。」というかのごとく、このバイソン、格闘をやめ、今度は、来た道とは逆のほうに引き揚げてゆく。これは、まるで、歌舞伎の舞台の前座の芝居のようなもの。役目が終わるとさっさと花 道を引き揚げていくかのごとく、のそり、のそりと、噴出をいまかいまかと待ちわび意いる人たちの間を退却していったのである。と、その時、「シューッ、シューッ。」と噴出が始まった。これには、驚き。信じられないような演出である。これは、だれがシナリオを書いたかしらないが、バイソンがそ れを知っていたかどうかは分からないが、これほどまでに手に入り組んだ演出はこれまで見たことがない。それこそ、自然の神のいたせる業かもしれない。やがて、白煙がもうもうとあがり、熱水がごぼごぼと噴き上げてくる。五メートル、十メートルとあがっているようだ。見事である。ところが、残念ながら、一等席を陣取ったつもりが、なんと、この噴出が始まったころに風向き がかわり、見ている場所が風下になってしまった。水蒸気が水滴となって降ってくるのである。これでは、写真を撮り続けるどころではない。これが、Yellowstoneの間欠泉というものをたっぷりと味わい、数分間、ただ、自然の力の息吹を観賞した。

 

空高く、勢いよく吹き上がる間欠泉と、予想だにしなかったバイソンの飛び入り前座の格闘劇。これこそ、イエローストーンならではの見世物と、なにか大サービスをしていただいたようないい気になり、もう一度、Fire hole 向かう。12時半に噴出すということであったが、これが、実は、明日の予定で、この日はすでに8時半で噴出は終わっているとのこと。肩透かしであるが、しかし、Old Faithfulであれだけのサービスを見せていただき、満足をしていたときだけに、ここは、納得ということで、次の目的、West Thumbに向かう。

 

ここは、またYellowstone Lakeの湖岸にあるガイザー。これが、また、一味違う。湖岸のすぐ脇にたくさんの噴出口があり、白煙が絶えず上がっているが、ここは、水場でもあるところから、噴出口の周りにたくさんの植物が、いきいきと生い茂っている。これは、 噴出するガスや水蒸気が植物の生態に悪い影響を与えるものではなく、それこそ、冬には、その水蒸気が回りの環境の温度を保護してくれるほどの役割をしていることを示している。 噴出している池も本当に透き通っており、日本の噴火口などとはイメージが全く異なり、むしろ、富士山の麓の忍野村あたりの清流の源となる泉のような感 じでさえある。これと対称的なのが、湖の湖面に映した雄大な山々を遠くに眺めながら昼ごはんを食べたFishing Bridgeを少し越えたところにあるMud Valcano。ここはまさしく、日本の火山のような感じで、泥水をぼこぼことやっていた。これは、多分、もともとは綺麗な水蒸気の噴出口で

あったところに、火山灰などの泥が溶け込み、こうして、泥水を吹き上げるような形になったものと思われる。水蒸気よりももっと温度が高そうに見えるのは気のせいであろうか。このあたり、すこし走ると目の前がバット開けるHyden Valleyといわれる草原がある。その中心をこれから先、何千マイルという旅を続けるために出発したばかりのYellowston川の水が流れている。すると、そこに、森谷君がアレほどまでにこだわっていたバイソンの群れがノンビリ憩っているではないか。なかにこの春生まれたばかりのような、沢山の子牛がいる。バイソンのよいところは、あの体重から来る貫禄であるが、この子牛たちは、母親バイソンのまわりを、まるで鬼ごっこをしているように飛び回り、はしゃいでいる。子供はどこでも、遊びの名人だし、自然の中の主人公という表現がぴったりの光景であった。勿論、自然の中の動物の生態記録にこだわりをもつ森谷君は、もう、無我夢中で、アングルづくりに格闘している。あの熱意がなければ、よい写真は撮れないということかと、感心する。これで、大いに満足し、さすがイエローストーンだけのことはある。観光� ��をこうして喜ばしてくれるネタは、数知れないものがある。

満足、満足の気持ちで、あまった時間は、ゆとりを持ってCanyon Villageに向かう。ここに、Yellowstoneの名前の由来を教えてくれるヒントがあるという。アッパーの滝は、落差は33mと やや小さいが、幅が広く、その水の豊富さから、白いしぶきをもうもうとあげて、滝つぼに落ち込んでいる。一方、ロアーの滝は、落差が、94メートルある。これを一度に落ちると水は、水滴となり、見事な虹を作ることで有名だ。われわれは、まず、ロアーの滝を眺めるアーチストポイントというところに向かう。ここからの眺めは、まさに、滝とキャニオンと、ブラフと、渓流の織りなす、見事な絶景である。そして、そこに長い年月、というより、地球の歴史を経るなかで、削りのこされた岩が、まるで、塔のように幾つもそそりたっているのである。その岩の色がまさしく、見事なイエローなのである。恐らくは、そのずっと昔、ここで火山が盛んに活動していたときに噴出した硫黄の成分が、溶岩に溶け込み、そのまま、岩石となって残ったのではないかと思う。これを実際に見て、なるほど、ここは、誰が見ても、Yellowstoneという名前がぴったりであると納得するだろう。

 ここで、健脚を自認する森谷くんは、アッパーの滝までのトレイルに挑戦するという。それなら、私は、車で移動して、そこの駐車場でまっているということにして、ひとりで、先にアッパーの滝を身に行く。反対側のビューポイントは、まさしく滝口の上に位置していたが、そこまで行くには時間が足りないと、もう一度、ロアーの滝の観賞にもどり、存分に写真をとる。これで、イエローストーンを存分に堪能することができた。こうしてイエローストーンの一日目は、カメラの損傷事件はあったものの、地球の息吹を間近で感じさせてくれる感激と、自然の偉大さに対する衝撃と、そして、まるで自分達も主人公であるかのごとき、バイソンの間欠泉噴出直前の格闘劇と、本当に盛りだくさんの一日であった。

 帰りの、ウェスト イエローストーンまでのドライブは、夕方、涼しくなったためか、Madison Riverのほとりで涼む、沢山のエルクを見ることができた。

 

本日の行程  165マイルでした。

 

West Yellowstone       Madison        Fireholes Canyon Drive        Fountain Plat Driuve       Fountain Paint Pot     

   Firehole Lake Drive            Upper Geyser Basin       Old Faithful         Firehole Lake Drive (again)

   West Thumb        Fishing Bridge          Mud Volcano       Hayden Valley

 

五日目、 イエローストーン二日目

 

Norris

 昨日、大分頑張ったということで、今日は、アッパーをゆっくり見学することに。


FBIの目的は何ですか?

まずは、ノリスベイスンに。ここは、かなり広い。ということで、二人は別々に回ることにした。ここで有名なのは、スチームボートガイザー。普段は極小さな噴出しか見ることができないが、不定期ではあるが時に、大噴出をすることがあるという。それでも、近くに行くと、このあたりでは、一番の活動を見せていて、絶えず、ぼこぼこと熱水の湧き出る音が足元から響いてくる。このあたり、比較的新しくできたベイスンということで、それまで成長していた木々がそのまま立ち枯れ状態になっているという。あたり一面、白い砂を撒き散らしたような大きな平原の中に、沢山の蒸気の煙がたっていて、まだまだ、ここは、これから大噴出をする気配を感じさせた。そんなことからか、ここでは、若いパークレンジャ� �がいたるところで、遊歩道を整理したり、枯れて倒れた木を整理したりしていた。二人で丸太を担いで、見学コースを修理していた若い男のレンジャー、あるいは、遊歩道で崩れたところに新しく丸太を固定していた汗まみれの若い女性のレンジャーなど、世界に誇る公園を整備している裏方の苦労がひしひしと感じられた。アメリカの若者もこうしたところで地味に活躍する人がいるのは、まんざら捨てたものではない。そんな人に感謝の気持ちを込めて、思わず、下手な英語の「Thank you」が出る。というわけで、こちらも少しは、協力しなくては、ここにあるブックセンターで、イエローストーンの写真集と、ジオグラフィーの本を買う。後者の方は、かなり難しい本かと思ったら、これも地理学的な立派な写真集で、これはなかなか見ごたえのあるものだった。本を売っていた叔父さんが、沢山ある本のなかで、この本はなかなかいい本だと一言いっていたのが、これでよく分かった。

 少しばかりのトレイルであったが、水蒸気の噴いている噴出口のすぐそばまでいき、地下の奥深いところから湧き出てくる熱水の声を聞き、これこそ、寺田寅彦が興味をもった音響学の世界かと改めて感心する。

 

Mammoth Hot Springs

 こんな余韻をのこして、次の目的地、Mammoth Hot Springsに向かう。ここは、イエローストーンの代表的な風景である、テラスマウンテンのあるところ。地底の深いで、温水が炭酸塩を溶かし、これが地上にでて来て析出、堆積して大きなテーブル状のテラスを幾重にも重ねているのである。そのテラスの上のほうは、Upper Terrace Areaとなっていて、すでに熱水の噴出は止まっているが、これがまた、大きな台地となっていて、ここを巡るトレイルができている。さらに、下に下ると、ここがMain Terrace Area でよく写真に出てくる光景を楽しむことができる。しかし、このときは水量が非常にすくなく、岩からすだれのように流れ落ちる水をみることはできなかった。水の量は少なかったが、これが、今でも沢山の炭酸塩を地下から運びあげているとのこと。その量は、一日に、2トン以上もあるといわれ、このため、ここの姿は、 一週間もすれば、どこかに、新しいテラスが出来上がっているとのことである。このテラスで、記念撮影。みんなが思い思いポーズで撮っているが、その脇に、リバティキャップという名物岩がこれを見守っている。 

それにしてもこうした、間欠泉がどうして、起こるのかはやはり気になる。地球の大きさからすれば、ほんの僅かのこの場所での出来事であるが、それにしても、様々な間欠泉がいろいろな形で共演しているのである。ものの本によれば、この地下には、火山でできた多孔性の岩盤が、広く分布しており、そこに、古代の氷河の溶けた水が大量に吸収された形で存在しているとのこと。この水を、さらにその下深くにあるマグマが暖め、地中で過熱(Superheated)された水が、圧力が飽和状態になるとこうして噴出してくるらしい。だから、火山性の溶岩やガスが噴出しているのではなく、地下水が温められて出てきているので、勿論、硫黄が全く含まれていないわけではないが、硫黄分の少ない熱水となっているのであろう。それよりも、面白いのは、過熱された熱水に岩石中の鉱石がとけ、これが、地表にでて冷やされて析出し、沢山のテーブル状の山を形成していることである。

となると、当然のことながら、われわれはもと化学を学んだ者同士。すかさず、森谷君から、「じゃ、なぜ、テーブルでなければいけないのだ」という疑問。勿論、ここには、テーブル状ではない、炭酸塩でできた岩山が一杯ある。しかし、なんと言っても、圧巻なのは、何段にも重なったテーブル状にできた岩山である。

そこで、推論が始まる。噴出した、熱水は、水平にたまるのでその表面が平らになるのは分かるが、析出する炭酸塩は必ずしも平らでなくてよいはず。だから、水面下で析出す る炭酸塩そのものが水平に析出しているはずである。これは、炭酸塩の結晶が盤状であれば、簡単に説明がつく。では、なぜ、炭酸塩の結晶は盤状結晶なのか。この疑問に答えるためには、結晶化学をもう一度勉強する必要がある。結晶の構造は、結晶格子により、盤状のものとなったり、針状のものになったり、あるいは、また、多角形のものになったりするが、これは、マクロな構造のはなし。結晶が大きく成長するには、こうした結晶がどのような形で成長していくかを知る必要がある。というわけで、炭酸塩が盤状に成長するのは、その基本となっている官能基の炭酸基のところの、中心にある炭素がSP2の混成軌道にあり、このため、分子の配列が平面になっているのだろう。その結果、平面構造、すなわち、盤状の結晶ができやすいのだと説明。この説の真偽の程はわからないが、理学部化学科出身の者として、この程度の議論で御互いに納得した次第。ものの本を辿れば、もっとはっきりした説明がなされているはずである。

 

 お花畑で、楽しむ

 これだけ、楽しんで今度は、アッパーループを周回することにした。昨晩以来、パソコンでのサイトの更新がうまくいっていないという森谷君は、今日は、早く宿に戻ろうという。それを無理矢理説得し、Tower Rooseveltに向かう。なにか見物は有るかというが、それは、こちらもわからない。まずは、言ってのお楽しみというわけ。マンモスホットスプリングスから、キャニオンビリッジまでのルートは比較的山間のなかの道路である。途中から、Black tail Plateauという脇道に入る。ここは舗装道路ではない、車が一大通るのがやっとの山道である。だが、前にも、後ろにも車がいて、何となく何か有りそうな期待をさせてくれる。しかし、ここを走ってみると、期待したような野生の動物はみることが出きず、そのかわり、高原のお花畑がドライブの目を楽しませてくれた。このルートの出口にPetrified Treeという場所があり、なぜか、ここの木は達ながらにして、次第に化石化しているという。この一角だけだと言うのも不思議な気がする。ここを抜けるとTower Fallで有るが、ここは、滝よりも対岸の崖の方が見事であった。削られた崖っぷちには、見事な地層が露わになっていて、地球の歴史をそのまま見せつけてくれる。崖の頂上付近と、 中間に、岩が縦に並んで層がある。これこそ自然が描いた芸術以外のなにものでもないと言う感じ。見事にきちんとある一定の幅の石が立てに並んでいるのである。この珍しい岩の並びの層は、ここに特有のもので有るかと思ったら、実は、こうした地層がアメリカには至るところでみることができる。次の日には、Bighoneの山中で も同じような地形に驚きながらドライブした。

 

もう一度、イエローストーン

 せっかくの自然探訪の旅のあるのに、森谷君は、早く宿に帰りたいという。そこで、一度、ウェストイエローストーンの宿に戻ることにした。この頃雨がぱらついていたので、半分あきらめていたのだが、しばらくするとこの雨雲がだんだん晴れて来た。まだ、5時である。せっかくここまできて、このまま宿にいてもしようがないと、パソコンをやるという東平を置いて、一人でもう一度イエローストーンの見学に行くことにした。昨日、みたコースをもう一度と言うわけである。そんな調子で、FireholeOld Faithful に向かう。Firehole では、肝心の大噴出はみることはあきらめたが、もう一つのほうはもしかしたらの期待を込めて、しばらく、その前でまっていた。が、時間が時間だけに、15分だけということで、時計と睨めっこをして我慢していたのだが、水蒸気の量も少ないということで、10分程度で、あきらめ車を動かした。そして、100メートルくらい行き、ひょっとバックミラーをみると、その噴出口から熱水が高く吹き上げているではないか。さっきまでは、もし、吹き出せば、すぐその前の特等席を確保していたのに、これは、残念。戻るには、ここは一方通行だ。仕方なく、車を止めて、遠くからの写真だけとなったしだい。これは、まことに、いま一つ我慢不足の後の祭りというわけ。少し悔しい思いをしたので、これは、なんとしてで もOld Faithfulで今一度、大噴出をみなくてはと、意気込んで乗り込む。ロッジの前の椅子でのんびり構えている老人に、今度の吹き出しの時間を知っていたら教えてほしいと言ったら、あと、20分くらいという。これは、しめた。これなら十分に時間はある。というわけで、今度は、風向きを考え、場所取りをする。こうして、昨日とは違い、吹き出す熱水を存分に楽しむことができたというわけ。これは、来た甲斐があったと満足して、7時には帰ると約束してあったので帰りの途についた。ところが、高速を走っていると、やたらとあちこちで車が路肩に止まっているのだ。実は、一雨して、すっきり涼しくなったことと、夕暮れということで、野生の動物達が活動を始めたらしい。最初の車の滞留地点では、熊がいると言って大� ��ぎをしている。小さな熊ではあるが、林のなかで、二匹がごそごそやっているのを窓越しにみることができた。そうこうしているうちに、今度は、一休みと思い、入った駐車場で、コヨーテがのこのこ顔を出してき た。おとといの夕暮れにも、ドライブの途中、山のなかを走っているコヨーテをみたが、今度は、ゆっくりと走っている車のほうに平然と近づいてくるのだ。そして、窓のすぐそとで、こちらに何か話しかけるかのような顔をして、そのまま、また森のなかに消えていった。手を伸ばせば届くほどの距離まで近づいてきたので、かえってこちらが緊張したほどであ った。やがて、Madison Junctionから、Madison川にそって下っていくと、またしても、今度は、エルクの集団が、夕方の散歩をしているではないか。昼間はなかなかみることのできないほどたくさんの親子連れが、実に、この地の主人公は自分たちだ、とばかり、蛇行する川のまわりの草原のなかを歩いている。なかには、草原のなかでのんびり、横になっているものさえいた。

この道、この時4度目であったが、それまで、不思議に思っていたのが、道路の途中で、速度制限をしている200メートルくらいの箇所があった。のぼりも下りも交通規制をしいながら、工事はしている気配もなし。しかも、車は、ここで停止してはいけないとの表示。初めて見る看板だ。ただ、このゾーンを過ぎて、数台の車が止まって、なにやら話している。みると、ここには、レッドイーグルの巣があると書いてある。なるほど、巣の近くで見物人が車を止めて、騒ぐのを規制しているというわけか。アメリカらしい。こんなところまで交通規制を配慮して自然の動物を守ろうといのうは、とてもうれしい気がする。目を凝らしてみると確かに、道路の直ぐ脇の一本の木の上にワシの巣がある。そこで、多分雛鳥であろう、羽を広げて仕切りにえさをねだっているような姿がかすかに見える。興奮してしばらくみていたら、� �のなかから、自分たちはここで、観察している、車が邪魔になるので動かしてくれと注意をされた。観察する人たちも、直接、ワシに気づかれないように林の中からじっとみているなど、アメリカ人の野鳥に関心のある人の節度に感心した。

 

 Yellowstoneは渓流釣りのメッカ。魚が跳ねている。

 夕方のドライブで驚いたのは、野生の動物が一斉に活動を始めたこと。そして、なによりも、道路わきを流れている川で魚が盛んに跳ねていること。ここは、渓流釣りのメッカなのだ。とにかく、水は綺麗である上に、温水が流れ込んでいるのだから、魚のえさとなる藻や、川の虫もふんだんに生息しているのだろう。雪解け水で、さぞ、冷たいのではと心配するのは、腰どころか、胸辺りまで使って、早い流のなかで必死にルアーをしている人たちを見た感じ。でも、水が温かいんでしょう。かれらは、にこにこしながら、連れてもすぐにレリースするというケームを魚と知恵比べしながら楽しんでいるのである。暫くみていたら、 こちらを振り返って、気軽に挨拶をする。「どうだ、羨ましいだろう。」とい� �んばかりに。ルアーの腕を披露してくれた。こうして、存分に楽しんだイエローストーンの2日が過ぎた。

 

 この日の行程

 

   West Yellowstone       Madison       Norris         Mommoth Country             Undine  Fall         Blacktail

              Plateau       Tower  Roosevelt         Canyon village         Norris       Madison         West Yellowstone    

          

   Madison           Firehole Lake Drive             Old Faithful            Madison          West Yellowstone

                       Total     202 miles

でした。

 

六日目、 イエローストーン川を下る

 


  ミズーリ川は、モンタナにほぼ真んにあるグレートフォールから、流れが一気に南に溯る。ルイスとクラークは、その川の流れがあまりにも南から来ているので、思わず自分たちのコースを疑ったほどである。この川を溯ると今度は、スリーフォークという地点に着く。ここは三つの流が合流し、本格的なミズーリの流となるところで、この三つの川を キャプテンたちは、ルイジアナの買収に財政的な調整で貢献した財務長官のAlbert Gallatinにちなんで、Gallatin、そして、買収達成で国をまとめた国務長官のJames Madisonにちなんで、Madison、そして、Lewisが、"我々の栄冠の立案人である偉大なる人物、Thomas Jeffersonの""その栄誉をたたえ"と書いているが、Jeffersonという名前を付けた。この三つの川の少し東を流れているのが、Yellowstone Riverで、太平洋からの帰還の時には、ルイスと別ルートを辿ったクラークが進んでコースである。先日の、カナダ行きの時には、ルイスが辿ったコースをすこし追跡したので、今回は、このクラークのコースを少しでも辿ってみたいと考え、West yellowstone から、北に山をくだり、Yellowstone 川を目指しBozemanに向かった。Yellowstone 川とは尾根ひとつ隔てたGallatine川に沿った191号線を走る。途中で、Yellowstone 公園の入り口という石柱のガイドがある。ここで、緑に囲まれ、朝の高原の空気を一杯吸ってサンドウィッチを頬食む。このあたり、とても平和の感じのする場所で、かってはSioux族、Shoshone族、Nez Perce族、そして、 Blackfeet族などがこのあたりに住んでいたというが、なぜか、このGallatineの谷では戦闘はしないという伝説が伝わっている。Bozemanは、今は、Yellowstone への入り口の町として栄えているが、もともとは毛皮の取引で栄えたまち。Bozemanは、家族をジョウジアにのこして西部での一攫千金を夢見てBig Horn Basinを越えてきたJohn Bozemanにちなんで名づけられた町である、ここのビジターセンターに寄り、モンタナの資料をどっさりもらう。この辺り、いたるところにクラークの足跡があり、多くのアメリカ人が彼らの足跡を追跡しようと訪れているようだ。やがて、Yellowstone 川を右に、左に見ながらのI-90を走る。高原の中のドライブであるが、北にはこの盆地を見下ろすように11,000ftCrazy Peakが聳えている。さすがにYellowstone 川の流域は水が豊富と見えて、緑豊かな草原という感じがする。インターステーツをColumbus というところでおり、Absarokee, Roscoe を通り Red Lodgeにいたる78号線に入る。ここは、遠くBeartooth 山並みを望む高原にシーニックドライブウェイ。ゆったりと広がる草原の彼方に雪を抱いた山の向こうはYellowstoneのはずである。Red Lodgeは、東側からYellowstoneに入る拠点の町で、とにかく、観光客でにぎわっていてなかなか活気のある町であった。この町、Yellowstoneまではかなりの距離にあるが、この町が人気のあるのは、これから先のドライブがどれほど素晴らしかったかを説明しなくては理解してもらえない。ここからの道は、Beartooth Highwayをはしるがこれは、このあたりを氷河が削った谷を走っている。そして、暫くはしると、その盆地のそこから、一気に10,947ftBeartooth Passので、氷河に削られた山肌をジグザグに登るのだ。つまり、これは、アメリカ版のイロハ坂、否、ABC坂というべきか、とにかく何回もUターンを繰り返し、繰り返し、どんどん 標高を一気にかせいでいく。曲がるたびに、足元に大展望が開け、そして、やがて頂上付近になると遠くに氷河が削った大盆地を懐にしたBeartoothの山々が聳えているのである。ここで最も高いのはGranite Point 12,799 ftということであるが、このピークを中心に、いくつかの山の頂が見えるのが、その中に、まさしく、まるで熊の牙のように尖った山がある。どうも、これをBeartoothと呼んで、親しんでいるらしい。Toothというから、一本だけの牙である。山もそれらしく、ひとつだけ鋭く尖ったものがあった。ここの峠の辺り、まだ万年雪があり、なんと、そこには、澄み切った大きな池があるではないか。その池の周りには高山植物が色とりどりの花を咲かせ、こころを和ませてくれる。ドライブウェイが走っているくらいだから、この山頂あたりは、かっては平地ででもあったかのように、なだらかな高原がどこまでも続いている。丁度、この峠がモンタナとワイオミングの州境。こんな

変化にとんだドライブはそのさき、ワイオミングのはいっても続く。今度は、周りは白い岩肌をした大きな石と、緑の高山植物が見事なコントラストをした、まさしく、神々のいる庭とでもいいたくなるような光景。これほどの標高のところで湖を従えた岩山のその白さが余計に荘厳さを感じさせる。

 シーニックドライブの案内書を見て、どうしてもこのルートをはしりたいと考えていたが、現実は期待以上のものがあり、ここで満足して、バッファロービルの活躍したCodyの町に向かう。ここは、Yellowstone川のClark支流の渓谷で、一度山を下り、もう一度、峠超えをする。このあたり、山肌に、沢山の地層がむき出しになったところがあり、かっての火山活動と海底の隆起、そして、雨風のよる浸食のあとが生きた教材として眼前に迫ってくる。見ることは信ずることであるかのように、大褶曲をした地層がどうなるかを教えてくれる波状になった大地はとても言葉では言い表せない自然の驚異そのものである。ここの峠は、Dead Indian Passsと名付けられていた。その昔、モンタナの平野から西洋人に追われたNez Perceの人たちが、この峠を越えて逃げたらしい。その時、追いかけてきた騎兵隊の斥候が、ここでインディアンの行く手を見失った場所と説明があった。確かに、ここからは幾つもの尾根が分かれていて、追われるほうには都合のよいところであったかもしれない。しかし、それにしても、LewisClarkを暖かく向かえ、探検隊のバックアップしたNez Perceの人たちが、西洋人の追われて逃げ回ったというのは、なんとなく、悲しい思いがしてならなかった。

 やがて、Codyの町に入るが、ここでは、残念ながらバッファロービルのミュージアムに立ち寄る時間がなかった。Big Horn の山々をもう一度越えなくてはならないからだ。

ひたすら14号線を走り、Powell, Lovellの町を通過する。今日の宿泊地Sheridanまでは、後、僅か。だが、どうも、行く手に大きな山が連なっている。最初の平坦な平原を通り抜けるものと考えていたが、道は真 っ直ぐその山のほうに向かってつき進んでいる。どう見ても迂回するような道ではない。ひょっとすると、また、この高い山登りするのか。時間はすでに16時を回っている。この時期、9時ごろまで明るいが、夕方の山道は、なんとなく不安である。しかし、山越えは現実となってきた。木々の全くない岩山の 山肌を、またしてもジグザグに登る山岳ドライブとなる。このBig Horn山を登りきると、ここもやはり平原が広がっており、これが山の上とは思えないような光景。と道の脇に、Medicine wheelの案内がある。最初は、なんのことかわからなかったが、そういえば、LewisClarkの探検のなかで、インディアンの魔術師は、Medicineといわれているのに気づいた。なるほど。ここは、天に最も近い魔術師の祈祷をするところかと想像した。ハイウェイからわき道にそれ、放牧の牛たちが草を 食むなか、砂埃を上げて車を走らせる。が、なかなかそれらしきものはない。そのうち、山の頂あたりにつくと、ゲートがあり、そこをさらに進む。道の両側が崖になっており、西日を真っ向から受けて、先が見えにくいなか、尾根道を進む。少しハンドル操作を誤れば、そのままずるずるとどこまでも滑れ落ちてしま いそうなところである。慎重に、慎重に。ここで落ちたら、まず、何日かは帰れないだろう。こわごわとそんな気持ちで進んでゆくと、やがて、太い丸太の杭で囲まれた、石を輪の形に並べた場所につく。ここだ。これこそ、インディアンの魔術師が、自分達の運命をうらなったところである。人里はなれた呪いだけの世界がここにあったのだ。Medicine wheelは、石を並べて輪を作り、これに、中心から放射線状に真っ直ぐと石を並べる。丁度、自転車のスポークのような形である。こうした、遺跡は、サウスダコタ、ワイオミング、モンタナ、さらには、カナダのアルバータやサスカチェワあたりでも見つかっているらしい。7000年も前の昔から原住民インディアンのなかでは、こうしたものが占いや、呪術、そして、様々な祈祷のために使われていたらしく、エジプトのピラミッドやイギリスのストーンヘンジなどとも通じているらしい。中でも、ここのMedicine wheelは有名で、その大きさは、直径が75フィートもあり、スボークと呼ばれる放射線状の石の並びは28本ほどである。この石の並びを使って、暦の代わりにしたり、天体の動きから方角を定めていたとも言われている。こんな素晴らしいインディアンの文化を実際に見ることができたのは、つくづく、このコースを選んだ甲斐があったというもの。時間の経つのも忘れ、しばし、その大昔のインディアンの魔術師に思いを馳せた。すでに時間は、17時をまわっている。Sheridanまでの道のりはまだ長い。必死に先を急ぐ。このBig Hornの山も、実に様々な地層がむき出しになっていて、ドライブウェイの脇にその地層ごとに説明書きをした看板がたっている。その地層が時代ごとに違った形、色合いをしており、まさしく、生きた教材である。

こうして、そろそろ夜の帳の下りるころ、漸くこの日の宿泊地につく。朝7時半から夜の8時までの長い一日でした。

 

この日の行程

West Yellowstone          Bozeman        Red Lodge           Junction 296           Cody           Lovell           Sheep

 Mountain Road          Dheridan

 

               Total 512 miles でした。

七日目、 デビルズタワー

 

 Sheridan から Buffaloの町にかけては、インターステーツを少し離れたところに沢山のBattle fieldの歴史的な名所がある。これらを尋ねることはできなかったが、かってこのあたりで、インディアンと騎兵隊の壮絶な戦いが繰り返されたらしい。とりわけ、インターステーツ90と、87の分岐点近くのあるFort Phil Kearnyは、Sioux族、Arapahoe族、そして、Cheyenne 族からなる数千の連合軍が、酋長Red Cloud に率いられて、第250騎兵隊を包囲し、繰り返し、繰り返し攻撃した場所として有名である。また、Fort Mckinneyは、Dull Knifeの戦いで戦死した、第四騎兵隊のJohn McKinney中尉の名誉を称えて名づけられた砦である。昨日の、Dead Indian Passといい、その一帯がインディアンと騎兵隊との悲運の場であったことになにか胸に迫るものを感じた。    

 Gilletteは、突然、草原の中に出現するかなりの町。ここには、石炭を満載した貨物をみることができる。このあたり、硫黄分の少ない石炭が産出するということで、ここが、東部、ならびに、南部での石炭の供給基地になっているとのことである。Gellettsから、東西と、南に鉄道が延びている交通の要衝であった。

ワイオミングの北の地域は南に比べると緑が豊か、そして、石油の掘削が至るところで行われている、というのが強い印象であった。

 

サイクリングのロード訓練中

 なんと、インターステーツがサイクリングロードになっている。BuffaloからGilletteまでは、まさに人影のないような草原地帯を走る。地図をよく見ると、BuffaloからGilletteにインターステーツ90であれば70マイルで行くのに、このインターステーツ以外のルートをとるとすれば、14号線沿いに一度北に上がって、Leiter Arvadaを通り、また南に戻るルートとなる。これだと、110マイル程度の道のり。また、南に下るとすれば、Pine Tree Jcを抜けるルートになるが、これだと170マイル程度になる。こうした回り道は、まるで、ここがインディアンの土地で、これを避けて通っているようなもの。それだけに、このイ ンターステーツ80は重要な幹線ということになる。他に並行に走っている道がないのである。というのも、このインターステーツの一車線をロードレースの練習をしている自転車があり、これに驚き、こんなことを調べた次第。最初、2人の選手が高速道路をサイクリングしているということでびっくり。車の量が少ないことと、サイクリング用に一車線ある ので、とりわけ危険ではないが、こんなことは、アメリカのインターステーツを走っていて初めての経験。そのうち、若い女性の選手が、この人は自転車を降りて、引っ張っていた。なにかトラブルがあったのではと車の速度を緩めたら、追い抜いた後から、走って追いかけてきた。が、ここは、後にまだ選手が来るので、それにお任せということで、通り過ぎた。

 

デビルズタワー見ゆ

 デビルズタワーに入るために、Exit153でインターステーツをおり、Moorcoftのビジターセンターによる。ここで、ワイオミングの観光案内をもらう。小さなセンターであったが、資料は沢山揃っていた。ここによる人も少ないようで、立ち寄ると愛嬌良く相手をしてくれ、とにかく、まだ、インクの臭いがするような今日できたばかりという、ワイオミングのガイドブックをくれた。私がいただいたのが第一号だという。実は、この日の様々な説明の内容は、そのガイドブックを多いに参考にしたものである。名所の写真も豊富、町の歴史も説明されており、なかなかよくできたガイドブックである。これは、貴重な資料である。
 気持ちを良くして、いよいよデビルズタワーに向かう。14号線の回りは豊かな田園風景である。驚くことに、このあたりの川は殆どがサウスダコタに流れ込んでいる。やがてはミズーリ川に注ぎ込む水だ。その川が作った渓谷の向かい側にデビルズタワーが聳えているのが目に入る。何時見ても、その異様な姿は魅力的だ。

  麓の直径が、1000フィート、頂上では、275フィート。そして、海抜は5117フィートであるが、麓から塔の頂上までは、1280フィートである。ざっと、500メートルの絶壁の塔なのである。ここがナショナルモニュメントになったのは、1906年にルーズベルト大統領により認定されたものであるが、このデビルズタワーが一躍有名になったのは、映画 "Close Encounters of the Third Kind"で、宇宙船が着陸した地点として設定されてからである。

 

 レンジャーのお姉さんに質問。

 森谷君が、カメラを担いで、少し山を見てくるといってなかなか帰ってこない。私は、前にロッククライミングをしている取り付きまで行っているので、ビジターセンターの前で暫く待つことにした。ここには、双眼鏡が備え付けられていて、誰でも、ただで覗くことができる。なにしろ、こうしたナショナルパークは、観光もさることながら、教育の場という感覚が非常につよいので、こうした設備には金を取らない。誰でも、自由に、好きなだけ見ることができる。丁度、岩山の左の端にロッククライミングをしているグループがいたのだが、これが、すぐ前の木が邪魔をして見えない。非常に残念だ。ただ、私は自分の双眼鏡を持っていたので、これで十分に悪戦苦闘をしているクライマーの姿をみるこ とができた。ベースから三十メートルくらいのところで、先頭を登って、ルートを開いているクライマーが立ち往生をしている。ハーケンを打って、それに宙吊りのような状態で五分も、十分もじっとしている。多分、ルートが見つからず、半分諦めている状態。すると、したの仲間が、別のルートでのぼり始める。ここの岩は、たてに避けているので、ハーケンは撃ち易いのであろうが、取っ掛かりが適当な間隔で見つからず、なかなかルートが難しいのであろう。そこで、丁度近くにいたナショナルパークの若いレンジャーに質問。「ロッククライミングは、どれくらい掛かるか?」と聞くと、上りに五・六時間、下りに一・ニ時間、という。毎年、この山には何千人もの人が登るという。面白いことに、どのガイドブックにも、この山の頂上の様子は書いてない。そこの状況を知ることができるのは、上った人にだけ与えられた勲章なのかもしれない。聞けば、このビジターセンター側からの登攀はなかなか難しい、普通は、ゲートのあるほうの岩山のほうから登るとのことであった。ついでに、このレンジャー、顔にそばかすのあるなかなかの美人。そこでついつい、どのくらいここで勤務しているのかと聞いたら、こうした、ナショナルパークのレンジ ゃーは、一箇所でずっといるのではなく、半年ごとにいろいろなナショナルパークを交代勤務するとのこと。それにしても、どこに言っても様々な質問に懇切丁寧、くどいくらいの説明をしている。とにかくよく勉強しているのである。

 


 ナショナルパークにきて感心するのは、ここだけではなく、こうしたレンジャーの博識なことと、どこの施設も訪れてくる少年少女が自然のことについて、楽しみながら勉強できるように非常に教育的な説明がなされているということである。丁度、このデビルズタワーのビジターセンターでも、家族と一緒に来た小学生を相手にクイズ形式の質問用紙が配られていて、この質問に答えようと、子供たちは目を食い入るように、説明書きを呼んでいる。中には、親に質問している子供もいるが、親もこうなると真剣に説明書きを呼んで、間違いのないように解説しなくてはならない。何しろ、答えが出来上がると、これをレンジャーの審査員のところに持って行き、採点をしてもらうのである。この採点で合格をとると� ��記念にジュニアレンジャーとしての認定書と、記念のバッジが頂ける。このバッジ、金色に輝いた、ついついこちらも欲しくなるような、なかなか立派なもの。ちなみにこの奇形をしたデビルズタワーができたのは、噴火で外に流れて出ようとした溶岩が、地下で縦に流れている間に固まり、その後の風水の侵食により、まわりの柔らかい地層が洗い流されて、岩が立てによりあったようなこのタワーだけが残ったという解説があった。

 こんなことをして、およそ、1時間以上ここで時間をつぶす。聞いたら、森谷君、なんとデビルズタワーの麓を散策するトレイルを一周してきたとのこと。その熱意にびっくり。

少し、時間を食いすぎたので、これから帰ろうというだんになり、途中の草原でプレーリードッグの生息地を見つけた。沢山の車が止まっている。森谷君は、初めてのご対面ということで、これはチャンスとばかり、プレーリードッグに夢中。だが、少々ここではめをはずしたようだ。いい構図で写真を撮ろうと、夢中になるのはよいのですが、三脚を持って広い草原の中で、プレーリードッグを追い掛け回すのは、少し目立ちすぎたような気もする。とくにナショナルパークでは、入場する時に、こうしたことをしないようにとのワーニングシートが必ず渡される。アメリカ人は、大人も子供もキチンとそれを守っているんです。守らないのは、大体、中国人とか、ヒスパニックだけ。ここは、我慢をして大目に見たが� ��これは、すこしいただけないんです。

 インターステーツに再び、Sundance の町から乗る。この町、インディアンの伝統的な文化遺産があるとのこと。ちなみに、Sundanceとは、原住民インディアンの言葉で、 Wi Wacippi Paha(  Sioux族の聖なる場所 )から来ているということである。近くに、世界的な民俗学上の貴重な遺跡があるとのことであった。

 インターステーツをSpearfishを過ぎたところでおり、Deadwoodの町に入る。この町は、歩くから開かれた町で、レンガ造りの建物が、大体同じような高さで建てられており、町そのものが整然とした感じで、非常に落ちついている。ここから、4人の大統領の顔が彫られたラシュモアに向かうが、途中、かなりの雨となる。これでは、見学もおぼつかないと、急遽予定を変更して、近くにあるケーブを見学することに。このあたり、大小沢山のケーブがあるが、これは、興味のあるひとでないと中をみてもあまり面白くないようだ。クリスタルケーブというところにはいったが、ここでもやはり学術員のようなお兄さんが仕切りのこうしたケーブのでき方、そして、そこに出現する様々な石、宝石について説明していた。僅か、10人足らずのツァーでも、こうした解説はキチンとしてくれるところが、アメリカの自然を学ぼうという見学者の気持ちを満足されてくれる。

 この日は、これで、一日の予定を終了。

 

 この日の行程

   Sheridan              Buffalo  Gillette           Spearfish            Papid City

                 

     走行距離は、  348マイルでした。

 

ということで、全行程

           3200 miles   5120 Kmのドライブでした。

 

   まあ、稚内から鹿児島( 2000 Km  )まで、一往復半したという感じです。

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